<特集>千葉ロッテマリーンズ。
今年6月から7月にかけて、千葉ロッテマリーンズはプロ野球新記録となる18連敗を喫した。しかし、現在は更生し?順位も5位のオリックスを今にもとらえよう、というところまで来ている。この特集では、マリーンズのこれまでの軌跡?を、簡単に振り返るとともに、私自身のマリーンズとの関わり、思い出話を書いてみたい。
1)球団沿革
1950年 セ・パ二リーグ制施行。毎日オリオンズ優勝。
1960年 「毎日」と「大映」が合併し、大毎オリオンズとなる。この年リーグ優勝(日本一は大洋)。
1962年 自前の新球場「東京スタジアム」、南千住にオープン。
1964年 「大毎」から「東京オリオンズ」に名称変更。
1970年 「東京」から「ロッテオリオンズ」に名称変更。リーグ優勝(日本一は巨人、V5)。
1971年 大映が財政面でピンチに陥ったため、経営権をロッテに譲渡。
1973年 東京スタジアムの使用が不可能となり、ジプシー生活に突入。
1974年 リーグ優勝。日本シリーズで中日を破り日本一(詳しくは「仙ちゃんが行く!」に)
1978年 横浜スタジアム、オープン。このため大洋が川崎から横浜に移り、空いた川崎球場をロッテ が使用することになる。
…この間に、いろんなことがあった。張本勲、3000本安打。落合博満、二度の三冠王。中日との1対4のトレード。「テレビじゃ見れない川崎劇場」のCM。
そして、中でも印象深いのは、1988年10月19日、伝説となった近鉄とのダブルヘッダーである。
西武と近鉄が優勝争いをし、近鉄がダブルヘッダーの2試合に連勝すれば仰木監督の初優勝、それ以外なら(引分でも)西武の優勝、というシチュエーション。テレビ朝日が急遽TV中継し、ニュースステーションになってもぶち抜きで中継したという、あの試合。第一試合は近鉄の勝利、第二試合は延長10回、高沢の同点ホームランで引き分けだったっけ。
1992年 前年オープンした千葉マリンスタジアムに移転。チーム名も、「千葉ロッテマリーンズ」と 変更し、現在に至る。
2)オリオンズ、マリーンズの観戦記録。
私が物心ついたのは、1975年。長嶋巨人が最下位となり、赤ヘル広島が初優勝を果たした年(小学校1年生)。で、友達と近所の空き地で野球(ソフトバットとカラーボール)をやるようになり(そういや、昨日久々に、昔育った多賀城市高崎3丁目(通称旭ヶ岡、自衛隊官舎)をバイクで流したら、昔野球を楽しんだ空き地が全て官舎になっていて、寂しかった。「あそこの空き地は後楽園球場、一号館横の場所は平和台球場…」なんて言ってたが)。
そして、親にせがんでプロ野球に連れていって貰うようになり、最初に行ったのは、確か宮城球場、大洋−阪神のダブルヘッダー第一試合と記憶している(1976年。試合は引分)。初めてロッテを生で見たのは、その翌年、1977年のゴールデンウィーク、阪急戦だったような気がするが。けどその年は確か既に川崎球場にフランチャイズを移しているので、ゴールデンウィークに試合をやるとは考えにくい)
…それから、大体毎年1,2回は(ロッテに限らず)プロ野球を見に行っていた(「エンドーミュージックショーウィンドー」でリクエスト賞に、ロッテの試合の招待券が入っていたり、ってこともあったっけ)が、中学一年の時に平日のナイター日本ハム戦を見に行って以来、行ってない。
で、その間暫くプロ野球は見に行ってない(勿論サッカーも)のだが(高校野球、大学野球はよく行ったが)、次に書くえびす金丸さんの影響で?プロ野球を見に行くようになり、久々に行ったのは1991年、宮城球場での大洋−阪神戦。その日は確か、宮城県職員採用一次試験が宮城工高であって、そこから直行したんだっけ(よくそんなんで受かったな、と思う…結局不採用になったけど)。あとはその夏のツアー(旅行)で、ロッテ−オリックス(金丸さんの番組主催の応援ツアー:川崎劇場。ロッテのサヨナラ勝ち)、巨人−広島(東京ドーム。外野自由席に17時半頃行ったら、既に外野自由席は満員で、内野席の後ろで立ち見に。しかも巨人の負け)だったかな。
社会人になって、なんだかんだで毎年1回は(ロッテに限らずプロ野球)見に行っている。ナゴヤ球場での近鉄−ロッテとか(1992)、東京ドームでの日本ハム−ロッテ開幕戦(ミッドナイトパーティーのイベントのため、途中で帰ったら逆転負け。1994年)、マリンスタジアムでのロッテ−西武戦。1996年は関西中日男のつき合いで宮城球場の横浜−中日戦、去年は1997年、宮城球場でのロッテ−日本ハム戦に行ったらKちゃん&パレットがいたりして。
3)えびす金丸。
私がマリーンズ(オリオンズ)を語るとき、この人抜きには語れない。
ラジオたんぱアナウンサー。本名、金丸幸代。1990年、「飛び出せ!エスクエラ」金曜(1720-1800?)、小森まなみの「産休」に伴い、代打でパーソナリティーをする。小森さんが6月に無事出産し、3ヶ月で降板するはづだったのが、小森さんの産後のひだちが良くなく、1991年3月まで復帰できなかったので、結局1991年3月まで「飛び出せ!エスクエラ」に出演。その後、1991年4月〜92年3月まで、「集まれ!エスクエラサミット」に出演。
その中のコーナーとして、「今週の愛するロッテ」というのがあって、毎週ロッテの話題をしていた。その関係でロッテに私もはまりつつあったのだった。金丸さんはエスクエラを降りたあと、暫くたんぱの局アナを経て、フリーに。その後、JEFの場内アナウンスを経て、1996年元旦に結婚。1997年5月に女児を出産。年齢は…アナウンスアカデミーで、○×の下田アナと同期だった、ということだけ書いておく。
4)で、最近は。
私が東京に戻ってきて、寮にCATVが引かれていたのは驚いたが、その関係で、SPORTS-iではマリーンズのホームゲームを大体中継してくれる(実況はしかも、全日本女子プロレス中継でお馴染み、志生野さんだったりする)。おかげで、マリンスタジアムに行こうか…いや遠い、CATVで…ということも多々あったりする。
実際、本気ではまったのは、やはり例の18連敗だったのだが。連敗を脱出した翌日(7/10金)、確か3年ぶり?マリンスタジアムに足を運ぶ。ボールパークでファンクラブへの入会手続を取り、ユニフォームを着てライトスタンドに足を運べば気分はすっかりマリーンズ。試合は、日本ハムに先制を許すも、先発を打ち込んで同点に追いつき、最後は延長10回、サヨナラホームらーん!!!
…なんてこともありましたが、基本的に、マリンスタジアムは「遠い」です。確かに、今の会社、築地から地下鉄で一駅。八丁堀(日本テレコムの本社がある)で乗り換え、京葉線で30分あれば海浜幕張に着きますが、試合終了が22時過ぎた時のことを考えると…(帰りは0時近く?) 。
5)ロッテとラジオ、その他メディア。
ロッテは、「千葉ロッテ」である。とはいえ、千葉のメディアといえばbay−FMに千葉テレビ、千葉日報しかない。「しか」というか、bay−FMは基本的に音楽局(FMサウンド千葉)だから(試合経過なんか流すらしいが)却下。千葉日報はよくわからん。千葉テレビは、…。毎週月曜日の22時から30分間、千葉県のスポーツ情報を流す番組があり、その中ではレイソル、ジェフと一緒に紹介されている。あと、試合中継は…あまりやらない。やるとしても、CATV(ESPN SPORTS-i)で流しているものをそのまま流している。しかも、21時30分には中継を終えてしまう。
というわけで、ロッテの試合を見るなら、CATVに限る、ということになる(SPORTS-iは、なぜか?マリーンズのホームゲームは大体中継している)。金があれば、Direc−TVに加入する、という手もあるのだが。
あと、本誌は一応ラジオの雑誌なので、ラジオについて触れておくと、西武(QR)、近鉄(OBC)の試合は月−金、ダイエー(RKB、KBC)の試合は毎日、それぞれの放送局で流れているから、それを聞くという手もある。あとは、宮城球場での試合は、TBCダイナミックナイター!
6)というわけで、今後のマリーンズ。
"SUPER RELEABER"河本も帰ってきた。台湾から獲得したウォーレンと合わせ、ダブルストッパー体制が確立した。新人の藤田も、リリーフを中心に活躍している。
というわけで、8/6終了現在、オリックスとは2差。最下位脱出も夢じゃない!
もし、今の寮を出ることになったら、京葉線沿線にマンションでも借りようか…と思う今日この頃であった。
…あまり納得行く記述じゃないな…。